» 「神との対話」講座のブログ記事

幸せになるにはある人物が、成功するにはある仕事が、満たされるには感情的、物質的な何かが必要だとあなたは思うかもしれない。そのときこそ、「たったいまのわたしは、それなしで存在している」、そう気づくべきだ。
それなのに、なぜそれが必要だと思うのか?
よくよく考えてみれば、生きるのには、あるいは幸せであるためにさえ、それは必要ないと気づくだろう。
幸せは経験ではなく、意志である。
幸せに必要だと思うものがなくても、幸せになると決めればいい。そうすれば幸せになる。

「神との対話」p.198)

このように、幸せになるための条件など何もないと言います。

幸せは、自分の意思が決める、自分の在り方にすぎないのです。

このことを、相田みつを氏も、以下のように表現していますよね。

しあわせは いつも 自分のこころが きめる

今あるそのままで、自分の内側に完璧な幸せが存在しているのです。

自然災害や大事故、戦争など、この世には悲惨な出来事が多数あります。

「なぜ神は、それを放置しておくのか?」

そう問われたとき、神は、「わたしは、見ているだけだ。止めようとはしない。」と答えます。

なぜなら、「止めれば、あなたがたの意志を損なうことになる。」からだと。

そして、「世界の悪と呼ぶものを非難してはいけない。」と言います。

それよりも、これによって「何を体験したいのだろう」内に向かって問うことを勧めます。

それは、この世は私たちにとって、自分自身を体験的に知る場だからです。

このあと、「小さな魂と太陽」のたとえ話が続きます。

小さな魂は、自分が光であること、その光が素晴らしいものであることを知るために、闇を求めたのだという話です。

そして神は、声を大にして励ますのです。

「だから、闇のなかの光になりなさい。」

「神との対話」p.51 – 54)

よく「わかりにくい」と評される「神との対話」シリーズを、できるだけわかりやすく解説したいと思います。
 
 
「神」と言われても、なんだかピンと来ないという人は、日本人には多いかもしれません。
 
これはキリスト教がベースにあるアメリカ人の著者だから、そういう点で日本人には受け入れにくい部分があるのかもしれませんね。
 
でも、日本人も昔から、ただなんとなく「神さま」という存在があるかのように考え、家族の中でも話をしたりしませんか?
 
私の家でも、「神さまは天から何でも見ておられるんだから」と言われて、嘘やごまかしを戒められました。
 
 
キリスト教など一神教で言うところの神もそうなのですが、人類は神を人格を持った存在と考えています。
 
つまり、人間をはるかに超えるパワーを持った存在で、あらゆるものを創り出すことができる存在。いわば超人間みたいなイメージです。
 
「神との対話」でも、最初はそういう神さまとしてイメージされ、そういう存在と会話するという設定になっています。
 
 
しかし途中からこの神さまは、とんでもないことを言うようになります。
 
あなたがたは生を表現する生であり、愛を表現する愛であり、神を表現する神だ。
だから、これはみんな同義語だよ。同じものだと考えればいい。
神--生命--愛--無制限--永遠--自由
このどれにもあたらないものは、ほかのどれでもない。
「神との対話③」p.256)
 
わたしは存在だ。「存在」はものではなく、プロセスだろう。私は至高の存在だ。つまり、至高、それが存在している。
私はプロセスの結果ではない。プロセス自体だ。わたしは創造者で、自分を創造するプロセスだ。
「神との対話③」p.418)
 
これまでの超人間という神のイメージが、ガラガラと崩れる瞬間です。
 
ですから神は、生命と同義語だと言うのです。生命というのも、私たちは個々の生き物に宿っているものを想像しがちですが、そうではなく、森羅万象すべてを指していて、ガイア理論の概念が近いですね。
 
 
しかし一方で、神にも意思はあると言います。ただしそれは人間の意思とは違って、何かを良い悪いなどと判断するものではありません。
 
神は自らを体験的に知るためにこの相対的な世界を創ったのであり、その中で人間が目覚めて自分自身を思い出し、あらゆるもの(=つまり神自身)を体験するよう助けます。それが神の意志なのです。
 
また、「神との友情 上・下」では、神と友だちになることを勧めます。
 
同じ目的のために歩む仲間として、協力し合う関係だとういうことなのでしょう。
 
神とはあなたがたという存在であり、あなたがたは神という存在なのだから。
「神とひとつになること」p.41)
 
 
私たちは「ひとつのもの」です。
 
この「私たち」の中には、神も含まれます。と言うより、「ひとつのもの」が神なのです。
 
これまでとはまったく異なる神さまの概念を理解できるかどうかが、この「神との対話」シリーズを理解できるかどうかの鍵のように思います。